加齢の理論 ~過去50年間、加齢の原因として唱えられた説とは?~

【立ち読み版】【速くなるためのヒント一覧】2024年7月8日 11:47

50を過ぎても速く! 50・60・70代になってもハイパフォーマンスを諦めない

 

興味深いことに、地球上の生物のすべてがこのテロメアの短縮に悩まされているわけではありません。扁形動物であるプラナリアを例にとり説明しましょう。この小さな生物のテロメアには、再生する能力、長さを維持する能力が無限にあるように見えます(12)。プラナリアは、脳から消化器系にいたるまで、体のあらゆる部位を無制限に再生し、生命を維持することができます。不老であるばかりか、不死であるとも考えられます。加齢の研究者がこの扁形動物に注目しているということは、想像に難くありません。

無制限に増える細胞を持つというこの状態にいちばん近いのは、人間の場合、がんです。残念なことに、がん細胞はほぼ不死性の細胞です。なぜならがん細胞のテロメアは分裂する際にその長さをほとんど維持し、セネッセンスを回避しているからです。だからこそ、がんは恐ろしい病気なのです。

人間の細胞のなかに、テロメアが短くならずに分裂できるものがあるのはなぜでしょうか。この疑問を解き明かそうとしている研究者たちがいます。いっぽう、発症後にがんをコントロールできるよう、細胞分裂の際に、がん細胞がテロメアの長さを維持しないようにする方法を研究している人もいます(13)。がん細胞のテロメアの短縮を促進できれば、がん細胞を退治することができるかもしれません。しかし、がん治療はさておき、純粋に加齢の見地からすると、寿命を延ばすために細胞をいじるということは、逆にがんを発症するリスクを高めることになりかねません(14)。テロメアに関しては、まだ不明なことが多いのです。

確実にわかっていることは、体の細胞が古くなればなるほど、人生で残された時間は短くなるということです。マウスと人間のアスリートの試験からわかるように、運動が寿命を延ばすのに大きな役割を果たすことは、明らかです。これは現代社会に突きつけられた喫緊の課題のなかでも核となる問題、つまり高齢化社会を維持するための経済的コストの問題です。米国では1960年代、それまでのベビーブームに加えて公的医療保険制度が導入されたために全人口が増加し、加齢が騒がれるようになりましたが、そのころから研究者たちは、人はなぜ年をとるのか、という疑問の解明につとめてきました。そしてその関心の背景には、人間の寿命を延ばすことだけではなく、長く人生を送る人びとのために、医療費、社会保障といった国の支出を抑制する、ということもあったのです。米国労働統計局では、2020年までに米国人勤労者の4分の1が55歳を超えて定年に近づくと推定しています(15)。これほど多くの退職者を国はどうやってサポートするというのでしょうか。加齢を解明すること、それも特に高齢者の健康を理解することは、打開策を見つけるのに必要不可欠なのです。

科学において、何かを理解するときのスタート地点は、1つの説を知ることです。この場合は何が加齢を引き起こすのか、という説です。テロメアの短縮は加齢プロセスの原因なのか、あるいは単なる結果なのか。もしそれが結果であるとしたら、多くの研究者は、何がその根源であると考えているのでしょうか。過去50年間、加齢の原因として唱えられた説のいくつかをざっと見ていきましょう。

 

■心拍数説

すべての生物には、受胎時にある一定の心拍数が組み込まれる。研究者のなかには、こう推測する人もいます。組み込まれた心拍数が使いつくされると、生命が終わるというのです。このきわめてシンプルな説は、ウサギやマウスなど心拍数が高く寿命の短い生物と、象や鯨など心拍数が低く寿命の長い生物とを観察して得られたものです。持久系アスリートの安静時心拍数が、運動をしない人に比べて非常に低く、寿命も長いことはこれまでに指摘されてきました(16)。

 

■摩耗説

この説は、体は機械に似ているという前提に立った説です。機械と同じように、人間の体も使い古されるというわけで心臓や肺などの臓器を生涯使い続けると、その臓器はすり減ったという兆候を分子レベルで示すようになり、最終的にはその機能をストップせざるを得なくなります(17)。日射、大気汚染、食品に含まれる毒素、X線曝露といった環境も、体を過度にすり減らす要因として考えられます。

 

■フリーラジカル説

この説は、摩耗説が若干複雑になったものです。しかし、加齢の原因、そして成人期に多い疾病の原因として最も広く受けいれられている説ですので、おそらく耳にしたことはあるでしょう。

人間が呼吸をするとき、そして食べたものを代謝するとき、人間の体は「代謝物」という副産物を生みだします。代謝物は電気的には中性です。すなわち、電子を放出したり受けとったりすると、それぞれプラスあるいはマイナスに荷電します。新たに荷電した分子は「フリーラジカル」として知られています。フリーラジカルは電気的に中性の状態に戻ろうとしますので、電子を受けとろうとしている、あるいは放出しようとしているほかの細胞を探しだします。このプロセスは次々に体を伝わっていき、その際にフリーラジカルがさらに生成され、それがほかの細胞に損傷を与えていくのです。フリーラジカルには細胞を弱体化させるという働きもあります。したがって細胞は病気にかかりやすくなり、加齢プロセスが加速するのです。このカスケード反応を食い止めるには、フリーラジカルと結合する抗酸化物質を、食品あるいはサプリメントのかたちで摂取することが重要であると、フリーラジカル説の提唱者は主張しています。

フリーラジカル説が最初に唱えられたのは1956年のことですが、1980年代までには加齢プロセスの理論として広く受けいれられるようになりました(18)。それからほどなくして、βカロテン、ビタミン A、ビタミン C(アスコルビン酸)、ビタミン E、セレンなど、抗酸化サプリメントの製造という1つの産業が生まれました。しかし今日では、フリーラジカル説には落日の兆しが見えています。たとえば、虫やマウスの研究では、特定のフリーラジカルが体内に導入されると寿命が延びるということが明らかになり19、一部の人は非常に驚きました。さらに最近では、かつてフリーラジカルが原因だと考えられていた疾病を対象にして研究が行われ、抗酸化サプリメントは特に過度に摂取した場合、効果のないことが多いばかりか、害を及ぼす可能性があると示されました(20)。結局、どういうことなのでしょうか。おそらくサプリメント漬けになるのは、賢くないということでしょう。それよりも、バランスのとれた食事を続け、日々の運動、トレーニングもバランスよく行いましょう。そうすれば、ほぼ間違いなく飛躍の日はやってきます。

 

■DNA損傷説

DNA損傷説というと、テロメアの項で扱った DNA鎖が思い出されます。細胞が分裂するとき、DNA鎖のなかで自然に変化が生じます。それはマウスの細胞だと1時間あたり7,000回という頻度であることがわかっています(21)。この原因は、DNAの、二重らせんのうちの1つに微細な断裂が生じること、または DNAの架橋結合だと考えられます。あるいは、残基の蓄積にあるのかもしれません。こうした変化が生じた細胞では、健康と長寿に必要な複製ができなくなる可能性もありますし、あるいはその結果、細胞が死滅する可能性もあります(22)。人間をはじめとして動物は、こうした微細な損傷を間断なく修復するように進化してきました。しかし、それが100%成功するとは限りません。DNAの機能不全のうち、いくつかが見過ごされ、修復されないことがあるのです。この微小な、修復されない損傷が時間を経て蓄積すると、大きな遺伝的変化となり、ひいては加齢につながるというのが、この DNA損傷説派の論理なのです。

 

■プログラム説

プログラム説とは、死、そして加齢は、進化によってすべての生物に組み込まれている、というものです。つまり、生命は環境的要因や病気の影響を受けず、人間も含めてすべて生きる年数は決まっており、その差異は小さいというのです。たとえば、働きバチの寿命は約1年、マウスは約4年であることが知られています。象は約80年です。現在地球上の動物で最も寿命が長いと考えられているのは、ガラパゴス諸島に生息するカメですが、ゆったりと歩きまわれるのは、だいたい190年です。WHOによれば、人間の平均寿命は、性別や居住地にもよりますが約68歳です(23)。寿命は男性よりも女性のほうが長い傾向にあり、おおよそ5年長く生きます。寿命がいちばん長い国は日本であり、平均83歳です。プログラム説派によれば、生物の生存期間はだいたい設定されており、我々にできることは、せいぜい寿命を縮める外的要因を最小限に食い止めることぐらいだということです。もちろん運動不足は生存期間を縮める要因ですから、このプログラム説にも一理あるのです。

 

・・・

 

加齢の原因に関する説をざっと紹介しました。このほかにも諸説ありますが、結局のところ、加齢も、そして死も、科学的に解明されていないのです。セネッセンスに関してはどの説も完全な説明にならないともいえます。しかしベビーブーム世代が研究され、新たな知見が得られれば、新説も出てくるでしょう。加齢の解釈にはいく通りかある、ともいえます。

我々は、自分たちが年をとる本当の理由を、まだわかっていないのかもしれません。それでは、加齢を遅らせる確実な方法は、科学によって見つかったのでしょうか。その答えを探っていきましょう。

 

50を過ぎても速く! 50・60・70代になってもハイパフォーマンスを諦めない

※この記事は、『50を過ぎても速く!』篠原美穂訳・OVERLANDER株式会社(原題:『FAST AFTER 50』ジョー・フリール著・velopress)の立ち読み版です。『50を過ぎても速く!』は、アメリカを代表する持久系スポーツコーチであるジョー・フリールが、サイクリスト、ランナー、トライアスリート、水泳選手、スキー選手、ボート選手など、すべての持久系競技のアスリートのために、最新の研究をベースにして、「50歳を過ぎてもレースで力強く走り、健康を維持する方法」をわかりやすく解説した好著です。

※本件記事用に、本文を一部加筆修正しています。

 

■著者:ジョー・フリール(Joe Friel)

ジョー・フリールは、TrainingPeaks.comおよび TrainingBible Coachingの共同創立者です。運動科学の修士号を持つフリールは、1980年から持久系アスリートの指導にあたってきました。彼の教えを受けたのは、自転車、マウンテンバイク、トライアスロン、ランニング、ボート、馬術の選手などであり、年齢もさまざま、初心者からエリートまでとレベルも幅広く、アマチュアもプロもいます。なかにはアイアンマン・レースの優勝者、米国内外のチャンピオン、世界選手権代表、そしてオリンピック代表もいます。

フリールの作品は以下のとおりです。『サイクリスト・トレーニング・バイブル』(OVERLANDER株式会社)、『トライアスリート・トレーニング・バイブル』(OVERLANDER株式会社)、『The Mountain Biker's Training Bible』、『Cycling Past 50』、『Going Long』(共著)、『The Paleo Diet for Athletes』(共著)、『Your First Triathlon』、『Your Best Triathlon』、『The Power Meter Handbook』、『Precision Heart Rate Training』(寄稿)、『Total Heart Rate Training』『Triathlon Science』(共同編集)。フリールはまた、米国トライアスロン指導者委員会の設立に携わり、会長を2期にわたってつとめました。

そのほか、『Inside Triathlon』、『Velo News』をはじめとする、200を超える雑誌のコラムを執筆するかたわら、米国以外の雑誌やウェブサイトにも頻繁に記事を寄稿しています。持久系競技のトレーニングに関して、さまざまなメディアから意見を求められており、紹介記事が掲載された雑誌は、『Runner's World』、『Outside』、『Triathlete』、『Women's Sports & Fitness』、『Men's Fitness』、『Men's Health』、『American Health』、『Masters Sports』、『Walking』、『Bicycling』といった専門誌から、『The New York Times』、『Vogue』にまで及びます。

フリールはこれまでに、アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、太平洋地域でキャンプを主催し、アスリートはもとよりコーチにも、トレーニング、レースについて指導を行っています。また、フィットネス産業や政府機関のアドバイザーとしても活躍しています。

エイジグルーパーとしては、コロラド州マスターズ選手権優勝、ロッキーマウンンテン地区、サウスウェスト地区のデュアスロンエイジ別優勝などの戦績を誇り、全米代表チーム入り、世界選手権出場の経験もあります。現在は、サイクリストとして米国の自転車レースシリーズやタイムトライアルにも参加しています。

 

■訳者:篠原美穂

慶應義塾大学文学部(英米文学専攻)卒業。主な訳書に『アドバンスト・マラソントレーニング』、『ダニエルズのランニング・フォーミュラ』、『はじめてのウルトラ&トレイルランニング』、『ランニング解剖学第2版』(以上、ベースボール・マガジン社)、『トライアスリート・トレーニング・バイブル』(OVERLANDER株式会社)などがある。