戦術はあらゆる人の役に立つ

【レース対策情報・レース戦術】【立ち読み版】【速くなるためのヒント一覧】2024年10月15日 15:00

自転車レースの駆け引き(RTC)表紙

 

昔、講演の依頼を請け、米国自転車連盟のコーチングスタッフが企画した5日間のコーチ向けセミナーに出席したことがあります。戦術の講座は2時間の予定でしたが、時間が押して90分になってしまいました。

担当したのはナショナルコーチ。私はメモを取りながら聞いていたのですが、講師が「戦術や戦略はトップライダーのためのものだ」みたいなことを言うので仰天してしまいました(言葉は多少違っていたかもしれません)。

えええ!?

不作法を承知で言わせてもらえば、その意見には、根本的に、根源的に、徹底的に反対です。残りの90%はどうしろと? 寝っ転がって流れに身を任せていればいいというのか? それはあり得ないでしょう。

コーチが言いたかったことはわかります。ナショナルコーチが参加する全国レベルの大会なら、戦術を駆使しレースを作るのはトップ10%くらいのライダーでしょう。ですが、戦術や戦略は、だれでも、それぞれのレベルで活用できます。統制のとれた強いチームを相手に、ちょっと走れるくらいのライダーがカウンターアタックを決めたり、逃げたりするのは難しいでしょう。ですが、レースの戦術が理解できれば、成功の可能性が上がります。また、失敗しても、その努力には意味があります。勝つにせよ負けるにせよ、その過程でなにかを学べるはずです。

戦術をきっちりつかめれば、体力以上のことが可能になります。勝つのは必ずしも一番強い選手とはかぎりません。勝つのは、一番賢く走った選手なのです。動きを計算し、集団内のいい位置で走り、ここぞというところで力を使ったからといって勝つという話にはならないかもしれませんが、戦術の巧拙により、集団でフィニッシュできるかちぎれてフィニッシュするかの違いが生まれたりします。そんな違いなど、ナショナルコーチにとっては目くそ鼻くそかもしれませんが、少しでもいい成績を収めたいと必死で走っている選手にとってはすごく大きな違いになります。

セミナーの90分はあっという間に過ぎ、まだまだこれからと思うところで終わってしまったように感じました。コーチが学ばなければならないことはたくさんありますし、このセミナーがとても有益であったこともまちがいありません。ただ、戦術を扱う講座の時間が短かったのはとても残念に思いました。まあ、それもしかたがないかなとは思います。体を使うスポーツにかかわるコーチやアスリート、トレーナーにとっては筋肉、足のスピード、出力などが気になるところで、心理的な側面は軽く触れるだけで十分なのでしょう。

戦術とスポーツ心理学は違います。こう言うと驚かれるかもしれませんが、ほんとうです。僅差の勝利と敗北を分けるものはなにかとトップアスリートに尋ねれば、メンタル面がどうこうという回答が多いはずです。勝つためには、メンタルとフィジカル、どちらが重要かと尋ねれば、たいがいは、ほぼ半々と答えるでしょう。では、心理面でも戦術面でも、精神のトレーニングにどれほどの時間が費やされているでしょう。ごくわずか。ないに等しいくらいと言ったほうがいいかもしれません。トレーニングやレースのあらゆる側面について、つまり、生理学的な側面についても心理学的な側面についても、私が知っていることやほかの専門家があきらかにしてくれたことをみなさんにお伝えしたい――そう思っています。

 

自転車レースの駆け引き(RTC)表紙

※この記事は、『自転車レースの駆け引き』井口耕二訳・OVERLANDER株式会社(原題:『RACING TACTICS FOR CYCLISTS』トーマス・プレン、チャールス・ペルキー著・velopress)の立ち読み版です。『自転車レースの駆け引き』は、ロードレースやクリテリムで上手に走り賢く戦うための戦術・テクニック・スキルを、豊富なイラストを用いてわかりやすく解説した好著です。

※本件記事用に、本文を一部加筆修正しています。

 

■著者:トーマス・プレン

1970年代初頭から長年自転車競技にかかわる。アマチュアとして、また、プロとして長いキャリアを誇り、1986年にはUSPRO選手権で優勝。また、レッドジンジャー/クアーズクラシックの13回すべてを完走した数少ないサイクリストとしても知られている。全米選手権で常に上位に入る実力の持ち主で、1982年全米タイムトライアル選手権優勝チームのメンバーでもある。現在、コロラド州ボールダー在住。キャットアイ・サービス&リサーチセンターで所長を務めるとともに、みずから立ち上げた消費者調査とコンサルティングの会社ボールダースポーツリサーチの社長を務めている。自転車製品供給者協会の副会長でもある。常勤の職をふたつ兼務し、家族もいるが、ふつうの人がガレージセールに行くような熱心さで、いまも週末にはレースに参戦している。

 

■訳者:訳者:井口 耕二

翻訳者。1959年生。東京大学工学部化学工学科卒、オハイオ州立大学大学院修士課程修了。53歳でロードバイクに乗り始め、ニセコクラシック年代別3位、UCIグランフォンド世界選手権出場など、ロードレースを中心に活動している。訳書に『スティーブ・ジョブズ I・II』(講談社)、『ランス・アームストロング ツール・ド・フランス永遠(とこしえ)のヒーロー』(アメリカン・ブック&シネマ)などがある。