サイクリストとして知っておきたい、パワートレーニングの注意点 ~「アート・オブ・レース」のセンスを失わないために~
パワーメーターは完璧ではありません。パワーを基にトレーニングをすることにも、当然デメリットはあります(パワーメーターの記事にしては、少々おかしいでしょうか。その理由について説明させてください)。
理由のうちの1つに関しては、「感覚」という項ですでに触れました。「安全型」自転車(巨大なフロントホイールを持つ「ペニー・ファージング」自転車の後継)と自転車レースは、形こそ変わりましたが、19世紀後半から広まったものです。そして、今までのあいだほとんどずっと、トレーニングもレースも、ほぼアートと言っていい方法で行われてきました。つまり、アスリートはそのときに正しいと思われたことを、ほぼ感覚のみに頼って行ったのです。過去のアスリートは、自分の体との協調が非常によくできていました。そうするよりほかに、方法はなかったのです。
しかし、残念ながら今日のアスリートは、「アート・オブ・レース」というセンスを失いかけているように思えます。過去30年間で自転車が関わる競技は、明らかにアートよりもサイエンスの色が濃くなりました。これは全般的に、あらゆる競技においても言えることですが、サイクルスポーツではそれが顕著です。その潮流をつくったのが心拍計ですが、パワーメーターはそれをまったく違うレベルにまで引き上げました。自転車のロードレースでは型どおりにいかない部分が大きく、レースが進行するにしたがいコンディションや体への負荷が頻繁に変化するため、いまだに感覚やアートに頼るところが大きいと言えます。しかし、感覚とアートのセンスを養うには、レースそのものに出るしか、ほかに方法はありません。こうしたコンディションの変化をいちばん体験できるのは、レースだからです。
それでも、ロードレースに向けたトレーニングのほうは、完全にサイエンスになりました。タイムトライアルやトライアスロンなど一定強度のレース、そして、マウンテンバイクのレースでさえも、ある意味、常にサイエンス一色になりつつあります。
おそらく私は、科学的トレーニングを最も強く提唱する人間ですから、このように嘆くのは、おかしいと思われるかもしれません。しかし、アスリートが競技に対する備え方、戦い方を変えることに、いくばくかの寂しさを感じてしまうのです。
アート・オブ・トレーニング、アート・オブ・レースのセンスがあるということは、価値ある特質と言えます。自分の体がどうなっているのか、より深く観察ができるからです。こうした能力がいくらか失われつつあるということを、私は危惧しているのです。これを食い止めるため、時おり(週に1回程度)、走行中ずっと、あるいは部分的にでも、数字を見ないようにしましょう。そうすれば、アスリートとしての総合的な成長にとってもよいことかと思います。このようなときは、サイクルコンピュータがワイヤレスの場合、取りはずしてバックポケットに入れてしまいます。そうすれば、練習後に分析するためのデータはとっておくことができ、走行中の自分の「感覚」との比較ができます。もしワイヤレスでないなら、ディスプレイをテープで覆ってしまいましょう。
これに関しては、もう1つ注意したいことがあります。なかには、数字中毒になり、それによって大いにやる気を出すというアスリートがいます。サイエンティストタイプのアスリートのほとんどがそうです。彼らにとって、トレーニングとは数字、それもよい数字を出すことがすべてです。きついトレーニングを自分に課す日はそれでもいいでしょう。しかし、回復をする日には、さほどいいことではありません。それどころか、こうした日の練習でよい数字を出そうとすることは、逆効果です。軽い練習の日にも、数字が示す「体力」の維持にこだわってしまうのであれば、やはり、サイクルコンピュータをはずすか、テープを貼るべきです。そして、ただ軽く流し、RPE以外の数字は気にしないことです。
初めてパワーメーターを使って自転車に乗るときは、ハンドルバーの表示にうっとりとしかねません。たくさん並んだ数字は、コンスタントに変動します。ディスプレイに夢中になるあまり、つい道路や車への注意を怠ってしまいがちです。ですから、パワーメーターを使った練習のうち、最初の何回かは、交通量が少なく交差点もほとんどないところで行いましょう。使い方のこつがわかったら、いつものコースに戻っても大丈夫です。ただし、パワーメーターのディスプレイではなく、まず何よりも自分の周囲で起きていることに注意を向けましょう。
これまで、トレーニングに対する体の感覚や反応に集中するため、ときにはパワーメーターを忘れるようにと釘を刺してきましたが、やはり、この新しいデバイスを使って大半の時間を走行すれば、今までにないほど体力は高まり、速くなるということは、たしかです。一旦パワーメーターの使い方の基本をしっかりと理解したら、パフォーマンスは大幅に向上するでしょう。これが、どうしてパワーメーターを使うのか、という問いへの最終的な答えです。
- 参考文献:ジョー・フリール著・篠原美穂訳・『パワートレーニング・ハンドブック(仮題・2017年発売予定)』(OVERLANDER株式会社)・本文の抜粋
※本件記事用に、本文を一部加筆修正しています。